栃木県は関東地方の北に位置する.人口はR6年4月の調査で,882,342人で減少している. 県庁を宇都宮市におく。宇都宮の人口は51万強です. 県北の那須郡市医師会は、那須郡の町村・大田原市・黒磯市の医師会員で構成されていましたが、平成17年の市町村合併より、湯津上村は大田原市に吸収合併され、西那須野町・塩原町は黒磯市と合併し那須塩原市となったため、大田原市、那須塩原市、那須町の医師会員で構成されることになりました。 ![]() 県北の人口は約36万です. |
我が那須町は栃木県の最北端に位置し、北と東は福島県に、西は黒磯市、南は黒磯市と黒羽町に隣接しております.那須町の北西に那須連山を望み、南東に八溝山系がそびえております.それらの山系の中央に東北本線、国道4号、東北自動車道路が南西から北東に走っており、交通の主幹となっております.この地は日光国立公園の一角でありまして、那須火山帯の那須温泉郷として有名です.面積は372.31kuと広大であり、R6年での人口は23,697人となっております. 歴史的には奈良時代に迄さかのぼる事が出来ます.那須温泉(那須湯本地区)は当時より保養地としての記載があり、伊王野地区に仏教伝播の痕跡がみられるそうです.鎌倉時代には那須氏が那須一帯を治めていました.奈良時代の東山道街道沿い宿として伊王野・芦野地区が栄え、戦国時代に最隆盛をみました.江戸時代になって伊王野氏の後嗣が絶え、奥州街道が開通すると芦野地区が芦野氏の城下町、街道宿として幕末まで栄えたそうです.江戸時代の俳人、松尾芭蕉が那須殺生石、芦野遊行の地を訪れて句を残しております. 明治17年国道4号の基盤が出来、明治20年に日本鉄道の支線が開通.明治22年に町村制施行されました.明治24年9月に黒田原地区に黒田原駅の開設がなされると、交通の要所は徐々に同地に移行しました.以後、昭和29年に町村合併促進法が施行されたことで、現在の黒田原地区を中心とした那須町の姿が形成されました. 那須町はJR東日本、東北本線黒田原駅を有する黒田原地区に行政庁を置きます.地域は概ね那須湯本、那須高原、黒田原、芦野・伊王野地区の4地域から成り立っており観光と農業の町です. 那須の自然に加え、伊王野地区に源義経に関する伝説や遺跡が残され、芦野地区は奥の細道の名跡が記念され、古の那須の三大伝説、那須与一伝説(史実)・九尾伝説・殺生石等ゝの逸話が語り継がれています. 詳しくは那須町ホームページ・歴史の項を御一読下さいますようお願い申し上げます. http://www.town.nasu.lg.jp/ |